鑑定書なしのダイヤモンド買取
鑑定書のないダイヤモンドでも売れるのか。学生時代のダイヤを手放した体験と、本物の宝飾品の光の話。
鑑定書なしのダイヤモンドは高額で買取可能なのか?
大学のころに所持していた鑑定書が無いダイヤモンドの話だ。
昔はバブルでダイヤモンドがが流行り始めて、その流れで鑑定書なしのダイヤも若い人たちの間で流行ってました。みんな大学生で、それなりにバイトや仕送りで資金もあったため、かかなり高額だけど鑑定書なしのダイヤを購入してオシャレを楽しんでいました。
やはり若いときに身に着けるダイヤであったり、学生のころに入手したアクセサリーは、ものによっては希少価値がついていたようでバブルが終わったあとに全てまとめて宝石専門の買取業者さんに買取してもらったところ鑑定書無いでも90万円ほどになりました。
買取をしてもらったため、手元にダイヤモンドは全て残りませんでしたが、物に対する執着心のようなものがないかたは、昔流行ったダイヤを売り払ってみることをお薦めします。案外、鑑定書が無くても高額で買い取れる業者は高い値段で買取してくれる可能性があります。
飾るということ
街を歩いていると、目にも鮮やかな色を持った女性を見かけました。年のころは20歳、この寒空にミニスカートにニーハイブーツ、ところが変れば夜の女に見えかねないその姿だが若さが物を言わせているのか、キラキラと輝いて見えます。そこには、鑑定書つきのダイヤモンドやルビーなどの宝飾品はいらないのです。いや、もしそれを持っていたとしても彼女たちの美しさを引き立たせるものではない。そう、宝飾品とは常に、身に着けた人を引き立たせるものなのです。例えば、映画などで出てくる老伯爵夫人の指に光るエメラルドや大正時代の商人夫人がつけている着物の帯どめのメノウなどです。それらを身に着けている人を際立たせるアイテムとしての宝飾品は、身に着ける人をさらに高みに持っていくものであるようです。「本物の宝石は50からね」とある人はそういったが、なるほど艶が失われていくであろうと思います。
女の肌には本物の石の光は失われた美しさのかけらを与えてくれるのか?若い時はそれほど鑑定書なしでいいと思っていたダイヤモンドを最近、なぜか身に着けるようになりました。それは、若さが失われたからではなく、その光の美しさが何となくわかるようになったからです。わかるようになった、というのはおかしいかも知れません。なんというのだろう、本物の宝飾品から出てくる光は若さとは異質で人の心をとらえるのです。
そして、それを身に着けている自分を鏡に映してみると、なんだか別の自分になったような自身さえみなぎるようになる。若い女性にとって高価な宝飾品は、無駄なものでしかないのです。
彼女たちの胸にダイヤモンドが光ろうと、イミテーションが光ろうと天然の若さはそれよりも増している美しさなのだから、それがいいのです。
だが、もう若いとは言えない女は、本来の意味をなす「宝飾品」としての鑑定書がある高額なダイヤモンドを身に着けるのでしょう。
石の価値を鑑定書で知る、ということはそういうことなのかもしれないのです。